若山牧水記念館
若山牧水は本名を若山繁といい、旅を愛し、旅から歌を詠んだと言われる歌人でした。牧水は明治18年、宮崎県東臼杵郡東郷村の祖父や父が医者という家系に生まれました。
早稲田大学在学時は北原白秋、中林蘇水らと親交を深め、その頃から作歌、執筆活動を本格的に行い第三歌集「別離」や歌集「山桜の花」などを発表しています。喜志子夫人との間に4人の子供を設け、43歳の生涯を閉じるまで数々の歌を残しました。
牧水の生家の目前に作られた牧水公園と若山牧水記念館は現在の東郷町に建設され、周囲は牧水が少年期を過ごした当時と変わらぬ風景を残しています。牧水記念館は2,005年に若山牧水記念文学館として生まれ変わり、短歌を中心とした遺墨、日記、写真などが展示されています。
若山牧水は旅の途中に訪れた各所で歌を詠み、現在は日本各地に歌碑が建てられています。そんな中でも牧水は最後の安住の地となった静岡県沼津市の千本松原、富士山を特に愛しました。
牧水は千本松原の散策を日課とし、没後は松原にゆかりの深い千本山乗運時に埋葬されました。彼が伐採の危機から守った千本松原は今も大切に保護されています。
沼津市若山牧水記念館は、日本で初めて牧水の歌碑が建てられた沼津に、牧水を慕う人たちの寄付で昭和62年に建設されました。牧水の長男である旅人氏も歌人になり、第2代館長を務めました。
館内には半切、原稿、書簡などが展示され、現在は旅人氏の長女である、榎本篁子さんが第3代館長を務めています。
※画像引用元:沼津市若山牧水記念館ホームページより